劇画人間革命(29)

昭和27年12月16日、第一回水滸会の会合が行われた。
戸田は遺言のつもりで、この精鋭たちに広宣流布のすべての指導理念を伝えるつもりなのだ。
まず教科書として用意されたのは、中国文学の四大奇書の一つ『水滸伝』であった。
「この小説を、どう読むかは人それぞれの勝手だが……この小説はおもしろいから、誰でもおもしろおかしく読むことはできる。
その筋のおもしろさのみにひかれて漫然と読み終わるようでは、この小説にひそんでいる革命的な精神というものを読み取ることはできないだろう」「いよいよ決起の時がきたのだ!! どこまでも広布に徹していただきたい」 学会が飛翔に移ったころ……昭和28年2月28日吉田発言がもとで国会は紛糾し、解散にまで発展する。
また、3月5日に脳出血で倒れたスターリンが死去。
後継者マレンコフ首相は、15日世界の国々に「ソ連は平和を欲する」と呼びかけた。
世界が揺れ動く中、戸田は広宣流布の大願のために、日本中を駆け巡った!!宇宙というものは、始まった時がない、また終わりもない。
我々の生命も永遠に生きていくのです。
ところが年々年をとるばかりで若くなる手はない。
そこで涅槃を現ずる――つまり死ぬのです。
さてその時に過去世の行状が自分の生命の中に全部ふくまれてくるのです。
これを宿命といい宿習という。
ここに仏法という生命の法の大事さがあるのです。
広宣流布というのは、思想戦であり、言論戦であるはずだ。
書きに書かなければならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動だ。
それを世界的規模で行うことになると、よくよくの大運動ということになる。
まず、日本における証明が確立されるならば、時代の潮流が、それを世界広布へと運ぶことは自明の理ではないか。
戸田はさまざまな人たちの難問という難問に相対し、親身に体当たりして解決に導いていった。
そして、全国に散らばった地方派遣隊もまた、多くのドラマを生み出していた。
函館には、船を沈め乗組員全員を死なせてしまった大杉という船長がいた。
それ以来、彼はあらゆる宗教を徹底して行ったが、その結果不幸のどん底にあった。
宗教不信の彼が、「化けの皮をひんむいてやろう」と講演会にやって来たが……。
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